ワイヤークラフト&アート

ワイアークラフトマスター講習のご案内。(wireなので正確にはワイアーなのですが、便宜上タイトルのみワイヤーと表示しています。)

きょくいあせい?

マーケッティングの先には安定、安全という方向性を大事にするという前提があります。
なので、企業論理からすれば当たり前。
無難にビジネスを進めること。
でも、やはり作家としては寂しい。
誰しもこれが本音でしょう。

誰もやっていないこと、今までに見た事の無いもの、人が驚くようなこと。を作りたい。ですが、結果が読めない、いや売れるかと考えると殆どリスキーです。

でも、作家の脳内はこういった訳の分からないモヤモヤが常に浮遊しているので、これを吐きださないと存在否定に繋がってしまいます。僕は何のために作家やってるんだろう、面白くないなあ。誰でも出来ることやってもつまらないよ。とね。

曲学阿世(きょくがくあせい)という言葉があります。
学んだことを曲げて、世にへつらうこと。
曲学は自分が正しいと学んだことを曲げる。
作家で言えば、自分が心地よい、面白いと思った意匠を放棄することですよね。
言わば曲意。

阿世とは、世におもねること、へつらうこと。
今、売れているあれこれに出来るだけ沿う物を作る、商品化すること。
これが、マーケッティングの延長線上に新たな作品(商品)を作って提案することです。
残念ながら、売れるモノづくりの多くは曲意阿世であることが多いのです。

では、今度は自分の意に沿う作品作りについて考えてみましょう。

オリジン、オリジナル、オリジナリティという言葉があります。
自分が考えた、作った唯一無二という側面もありますが、同時に本物とか未処理品とかの意味も在ります。
宝石でいえば未処理を意味しますし、作品の場合は私の創作ですという意味に使われます。

自分で考えたオリジナルも、結局はそれまでに脳内に蓄積されたデータを組み合わせた結果である点は言うまでも在りません。ふと、面白い組み合わせを考えついたので形にしてみました。という事です。

そして、何処にもない、他の人には考えつかないだろう?と思っても、それを組み立てる段階で、自分的に心地の良い処で完成させる、そこまで微調整する。という作業が必ずあります。これは残念ながら過去のデータとバランスをとる作業に他なりません。
音楽などでは曲調や歌詞に、何処かで聞いたことあるような。となるのはこのためですよね。致し方ないです。

僕は、オリジナルを作りたければ、出来るだけそのジャンルの勉強をしないこと。と伝えます。
自分がやりたい事の歴史を追いかけたり、有名なデザイナーの作品を見たり、今の流行を垣間見ることは、何処かで見たことをいたずらに増やすだけです。なので、違うジャンルからヒントを得、それを脳内で自分なりに組み合わせる以外にオリジナル作品を創り出すことは出来ません。正確には、オリジナルと認識することが出来ません。

作家としての活動を辞めて、評論家や批評家、研究者、講師になりたい人がそういった事をすればいい訳で、決してプラスにはなりません。作家にとって何も知らないことほど強いものはありません。
子供は面白いもの作り出しますよね、情報量が少ないゆえんです。

でも実際には、最初はそうであっても、キャリアと比例して知ってしまうことからは逃げられませんけれどもね。
見ざる、聞かざる、嗅がざる、味わざる、触らず、など無理なお話です。
クラフトショウにも出ないで、作家同士の交流も一切拒否して。何処か、世の情報から一切隔離された無人島で作品作りをするしかありません。ですが残念ながら、あっという間に創作意欲も消えてしまうのではないでしょうか。人と会わないので、一切の評価を得ない訳ですから。

売れること、人様からの良い評価を一切期待しないこと、むしろ、逆を目指す以外に究極なオリジナル作品は出来ないのかもしれません。売れる物を作り続けると認知度が上がり、あんな媚びたもの作ってと言われ、売れない物を作っていると何を独りよがりなと言われ。

偶々、何か凄いものが出来てしまった場合も、それが賛辞を浴び、以降、人様からの期待に応えよう、もう一度賞賛を浴びたいと阿(おもね)って壁に当たったり。

物作りと曲意阿世は切り離せないのかもしれませんね。